「貴方だけが楽しいの?」

 

 以前あった写真家達の日本紀行でも

最近放映されているフォトラバーズでも

つい先だってのアメトークのカメラかじってる芸人でもそうだけど

そうしたメディアから

あぁ、写真撮りたい、とか、写真ってイイネって言える事って

カメラ好きに限らず

 

根底にあるべきなんだと思うんです。

 

 写真ハマりな僕らのタイプは

写真好きカメラ好きを前提にし、その前提を当たり前として

まず一旦置いて、知らぬ間に、良い悪いのアレコレを揶揄したがるだけになりがち。

つまり好きな自分に酔う事が最優先の大前提に陥りがちで

とてもそうした人の姿を見て、自分もそうな所が多々あるのに

なーんかイヤラシいなぁって思うんです。

 

 貴方だけ、僕だけ、自分だけが楽しいとなってしまう事を知るのが

頭に書いた

写真が好きだともっとマニアックな番組でないとつまらんとか、

そんな事知ってるってば、的な方向でしか感想を持てなくなる事。

それは置き換えてみれば

人の写真よりも自分の写真が良いと言って欲しい事や

じぶんでそう言い切りたい感情の先達から知らずに出ている感情なんだと思うんです。

 

 そこで、

そうしたものの中から

あぁあまり興味の無い人も友達も

もっと写真を好きになってくれるかなぁ、とか、

その中から見られる写真に、イイナぁとか羨ましいなぁとか

楽しそうだったなぁとか、良い刺激を受けたなぁとか思える事が

きっとまったく逆の俯瞰から見た時に

自分がどう見られているかの感想に

そっくりそのまま転嫁されてる気がするのです。

 

 人は知らずのうちに

好きなものに夢中になり

その周辺に至る好きなものの要素を含んだものを

何でも興味を持ってキラキラと感受出来ていたはずなのに

いつからか

自分の好きなものを武器のように扱い、

自分のピストルが、ナイフが刀が

間違い無く一番人の心を刺激するものだと幻覚を持ち

それは自分では治せない病気のようなものになってしまう

好きが故に

どこまでも厄介で修正の効かない所に陥ってしまうものなのかもしれません。

 

だから

いつまでもそうした番組や

初心者向けのムック本や月刊誌やらを

新鮮に楽しく見れる感覚を維持出来ているのって

自分が初心者から逸脱出来ていないのではなくて

自分がいつどんな時でも、どんなにキャリアを積んでも

どんな日常でも一歩だけ部屋の外でカメラを構えた時に、

敏感に反応出来るかどうかの原点なんだと思うんです。

 

 自分が一般的に見やすくされたものや

始めて3年未満の人や長く見続けた楽しくて仕方が無い撮り手の写真を

ツマらなくしか見れなくなった時

 

 きっと

それは、貴方が成長したのではなく

あなたが知らない間に鈍感になって来ていて

自分の引き出しが狭くなって来ている事だったり

風や光に素直に敏感になれて来ていない兆候だと思うんです。

 

 僕は

貴方を見てそう思ってしまいました。

だから、僕もそうならないようしなきゃと思いました。

 

 貴方は

またキラキラしたフォトライフに戻って来れるでしょうか。

 

 僕は

また明日からも

キラキラした心の反応が出来る自分で居たいなぁって思います。

また明日からも

キラキラしている人の心の輝きを

あの人は眩しくて素敵にフォトライフの中に居るなぁと見れるよう

見えるよう、見られるようでありたいものです。

 

 カッコ良いキャリアの経過のつもりが

僕もそうだけど

とってもカッコ悪いものになって気が付かない事なく

明日

キラキラで、ドキドキで、

何もかもに新鮮に反応し、感受出来るハートで居たいものですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

cozy

 

2013/02/16