撮り手の区分

 あの人は風景写真家だ、あの人は商業写真家だ、

あの人はカメラ好きだ写すのは下手だけど、、などと

なんだか勝手に区切っている時ってあるような気がしませんか?

逆に自分から、僕はフォトグラファーであってうんぬんと

自らをこういうカテゴリーの人だと言う方も多いかもですよね。

 

 時に、

それは、第三者が決定付ける事な時もありますね。

当人が思っている思われたいものと違う評価や見方をされる事も生まれるし。

 

 どうなんでしょうね?

 

 人物をメインとして撮る人、花のマクロが好きな人

街のスナップが好きな人、風景が好きな人、

仕事で用途的に撮るけどプライベートでは家族すら撮らない人、

寝ても覚めてもカメラを手から離さない人、

古いカメラが好きな人、最新機器が好きな人、と

ほんと色々ですよね。

 

 写真好きカメラ好きだと往々にブログでそうした事を語ったり

自分はこうさ!的なものを確固たる確認行為として述べたくなるし

自分の評価判断尺度がいかにすぐれているかを見て欲しい為に

あの人はこうだ、あの人はこうだね、そんな事にもなっているものです。

 

 そうした色んな掛け合わせと組み合わせと、

いろいろを机の上でお皿のお米粒を仕分けみたいにして行って

それが個性だとか、良い悪いの是否を明瞭にしたいものなのかもしれませんね。

 

 こう書いているノートのように

居場所が判る安心感と、自分に何か光るものや存在の意味や意義を付けて

なんか安心したい事とかが落ち着くのかもしれません。

 

 が、

時にはそうした事が面白くもあるけれど

 

 時に

そうした事が

第三者的に俯瞰で見るとウザったく思えるから不思議ですね。

 

 これって、大きな要因に、

述べている人の人格や性格や人望や常のアクションから

大きな反応の差があるかもしれないなぁと思いました。

 

 何でもそうだけど

徳のある人の言葉はどんな事でも響くもの。

軽薄な人はどんな確固たる正解を述べても納得してもらえないもの。

 

 区分や仕分け

 

 一枚の写真は、

ふと受けた感動や印象だけでなく

人が見えて来た時、

もうひとつ写真の評価を意識無しに勝手に分類してしまっているかもしれません。

人と言う区分を。

 

 これって

いずれにしても、、

なんか、、

 

良い事では無い気もしますね。

 

 

 僕自身は

人からお前さんは田舎の風景を撮る人だねと言われるのが

あんまり決めつけて欲しく無いかなぁって思います(笑)

 

 

 

 

 

 

cozy

2012/07/12