「後悔しないUP公開」

 

 フォトサイトにおける写真の賞味期限って

ほんと残念な事に普通の人だとアップしたその日一日か数日、

以前にもノートのどこかで言ったけど

月間のフォトコンでもその鮮度はひと月、年度賞でも一年で終わるものも。

もちろんその中には

不偏に永遠にその意味と意義とを根付かせる切っ掛けでもあるし

それは賞味期限一日のネットの中に投入された後に

不思議な力と撮影者の想いと、

その反対の全く意図も意識も狙いでも下心でも無い不思議な力が作用して

時々写真って一人歩きをしたり

多くの人の動いた心の分だけ広がっていくものでもある。

 

 僕のここ最近ちょっと二の足を踏んでいた事の中に

その埋もれてゆく賞味期限の短い中に

撮れたての鮮度や旬というワードで多くのものに混ぜ込まれて

瞬時にTVの下に流れる字幕くらいの滞在時間で

一枚の鑑賞を消化してゆくネットのフォトユーザーの為に

アップの浪費や自分の大切さを投げかける事に

周期的に嫌気がさしてしまう、そんな時があり

今がそんな周期に当たっています。

それは今はどこもかしこも梅や桜、菜の花だの春の花だとかが

連日何100枚もの写真がどこでも羅列のオンパレードだからに他ならない。

 

 僕を

年に幾度か色んなポイントで惑わせるのは

楽しくて好きで撮った事撮れた事が嬉しくて見せたくて

自慢したくて、アップしたら瞬時に良いねと沸いて欲しくて

褒めて欲しくて、人のを見たのだから私のも見て反応してねっての

この雰囲気の中に居るのが時々嫌で溜まらなく思う感情が生まれて

それって間違い無く桜のシーズンと秋の紅葉シーズンが当てはまるのです。

 

 私の地域がまだそうしたシーズンでない事や

そのせいもあって撮影志気があまり上がらない時期だから

だから書きたくなる内容ではあるが

だから人のそうした写真の扱いや公開行為を見て

書きたくなる、言いたくなる内容なのだとも思います。

 

 多くのサンデーカメラマンが

桜と紅葉の撮影シーズンが終わると

ぱたっと新作どころかアップも

やれネタが無いだの、スランプになっただの、

何を見てもツマらなくなるだの、ピンと来ないだのグッと来ないだの

きっと言い始めるだろうから持てて御覧なさい(笑)

 

 さて、僕は

そうした中に今期も埋もれて終わりなのでしょうか

それとも、何か僕らしい爪痕を残せるのでしょうか。

フォトサイトでの表面上は

例年までのように撮る都合や頻度が作れない事はあえて言わないつもりだし

生活のツマらなさや物足りなさやもどかしさはもう文字にもしたくないくらいな中、

 

 この先の遠くない未来も

 

 そうしたフォト環境の中で

 

 僕は存在していけるでしょうか。

 

 さぁどうなんでしょうね。

 

 ちょっと今フォトサイトへの投入の手が

ここ数日、本来なら投入ネタもあるにもかかわらず、

どうにもアップの手が止ってしまっています。

 

 写真のアップなんて

まぁ二の次でどうでも良いかもです。

撮るべき時の一期一会があってそれを逃さず反応さえ出来ていれば

それはひと月後にアップしようが半年後であろうが良いとさえ思います。

 

 そんな事から今日は

未アップの仕上げ終わっているjpeg出しの終わったものの

レンズ機種ごとに別けたフォルダの中の写真の

精査とタイトル付けをし、沢山のストックを仕込む日としました。

 

 何でもかんでもあるだけアップして出して

大事な一枚一枚が類似で終わってしまわぬよう仕分けや吟味や

折角の良いショットもこっそり公募や応募の候補も確保を出し惜しみするも

自分の写真を扱うのにとても大事な事に思います。

一旦公開してしまうと

未公開のみ受付の規約にも場合によっては抵触してしまいますしね。

 

 まぁとにかく、

特に桜と紅葉は、仲間と撮りに行ったのなら

同じようなのを皆で並べんで欲しいのと

花も葉っぱも類似や極似を吟味や精査して

見てくれる人にツマらない感情や同じようなものばかり見せやがって

と思われないような心遣いも

一枚の写真を扱うのであれば撮り手として大事な資質だと

僕はそう思います。

 

 

 

 

 

 愛犬はな、

陽気も少しずつ増え

具合の進行は良くなる事は無い大変な身体ではありますが

とても献気で健気で愛と元気を僕にくれています。

もう少し気候が良くなったら

僕もはなも気持ちが楽になるのですが、もう少しかかりそうですね。

 

 僕もはなも

陽気が待ち遠しいこの頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

cozy

 

 2013/04/10