予算の少ない冒険活劇

 TVドラマ批評ではなくフォト記

タイトルにある予算の少ない冒険活劇として

一部の人に受けている勇者ヨシヒコというドラマがある。

ググってウィキで知る事が出来るだろう。

 

 僕はとても好きで

チープさと、まるで芝居小屋で味わう劇団劇のようなんだけど

脇役にいたるまでのキャストがほぼ良いし

予算の無い中での背景演出やその環境の中で物語をきちんと伝え

低予算と表も裏も人数の中で実に滑稽で物足りなさが逆に面白可笑しくもあるのに

だからこそ見て楽しむ色んな琴線をくすぐる事になっていて。

 

 写真にも同じ事が言える時があるような気がしたのです。

名景と恰好の時節と条件のそろった雄大な風景をフイルムで撮る素敵さよりも

時には普段の裏庭にちょっとドラマ背景のような情景に見えるものを

デジで撮って少し個々のエッセンスで脳内妄想を調味料のような仕上げる事の方が

何だかずっとぐっと来る時があるかのようで。

 

 フイルムで撮られた名風景での朝や夕の光と彩と階調と

肉眼を越えるフイルムマジックとフイルムが生み出すトーンは

時にデジタルよりずっと嘘つきな時があって

もちろん完全に素晴らしさと言う観点では未だにフイルムと

精通した撮り手により生み出されるものは絶対的な敵わないものってあると

僕は正直思う。

凄過ぎる、素敵過ぎる、

ある意味そういう事でもあるのだろう。

 

 だから

僕にはデジタルが向いていて

フイルムのような魔法の力を持っていたり

努力と経験と何度も足を運ぶ事も加味して手に入れる一期一会が組み合わさって

管弦楽オーケストラクオリティーのハーモニーを生み出す写真の世界に

僕は

時々タクトを振れないなぁ、

スコアを書けないなぁって思ってしまうのです。

 

 で

想像やシナリオや舞台演出やキャスト選びからの観点で

この勇者ヨシヒコで語りたい見せたい感じさせたい距離のものを

僕は写真で発信出来たらイイナぁってなんか思ったんです。

 

 身近な代用や安い題材や素材を

良い演者と良い撮りでと限られた予算で演出するような

どこか安っぽい物足りなさが

逆になにかふくよかでふとしたツボや琴線をたまらなくくすぐるような世界。

 

 今日のノートは普段でさえ伝わらない世界を語っている僕だが

いつにもまして伝わらないだろうなって思う節もあるが

僕は自分で書いた者は時々見返す方で

それは写真でも過去に作った音楽とかブログとかフォトサイトとか

若い頃のビデオでもそうで。

 

 写真は撮った瞬間から過去で

見返す事から始まるもので、

発信すること自体が見返しな所もある、創造物であったとしても。

 

 僕の人生そのものが

低予算な生き方な部分があるなぁと思った事と

そんな限られた予算や環境で

いかに人をくすぐる事が出来るか

 

 そんな事を

深く思いを巡らせたくなった今日でした。

 

 

 

 

 僕も

猫の額程のフィールドで

小さな宝探しを楽しむ感覚でカメラを手にしている事をあたらめて感じる。

 

 大きなリッチな旅行や旅や冒険は

もちろんさぞ楽しかろうし素晴らしい写真成果も

情熱と願いと努力があれば至福なものを残すだろう。

 

 でも

投げやりでため息だらけの人生の日々を寄せ集めただけの中でも

物語は質素な食事とガソリン代すらヒーヒーの中でも

人の何かを震わせるものは絶対生み出す事が出来るんだと

そう思えてならないのです。

 

 

 

 素晴らしいものだけをかき集めて

努力と地位と根性を練り込んで誇る事や認められたいと思うだけでなく

 

 近所の砂場で作ったお城で

見るものを王様お姫様にしてあげたり

大空や大海を世界旅行させるような

 

 

 

 

 

 

 今日はそんな撮り手になりたいと思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

cozy

 

 

 

 

 

 

 

2013/01/14