アマチュアカメラマンの盲点

一番自由なはずなのに

僕らアマチュアカメラマンは本来一番自由で柔軟なはず。なのに、こうしてクリピーで写真展が盛り上がると「そうだよなぁー やっぱり写真は大きくプリントで、そこがこの先の行き着く所だよなぁ。。」と、刺激を受け暗示にかかり、はたまたコンテストに入選したりDaily Picksや他サイトでピックアップされるとついついその傾向だけが自分の認められたものと解釈してそこだけを突き詰めたりしがちになりますね。やはりプ ロさんや写真に精通した方の目にかかったもの、そして上級者のアドバイスや言動、着目と大多数の目にかかった自分の写真を個性と思い込んでそこに特化した ものに注力しがちに知らずのうちにどうしてもなるものですよね。主力メンバーさん、目立つメンバーさんがその流れに動いていると尚更の事。

大多数の評価とその尺度と賑わいと自己評価と自己満足のギャップ

クリピーではもうフォトコンテストがなくなりそうしたものを目指すなら他でどうぞ、と、はっきり言う方もおられますがそれ は目指すなら当然でもあるのでここクリピーをメインにしてらした方も他の方面をメインに活用活動されるようになった変化、コミュニケートも、写真の向上と 評価反応を見る為にネットフォト活動のメインを変えた方も少なくない傾向も見えますね。デジタルフォト誌でフォトコンがあった時はここで多くのチャレンジ する同士が居てそれぞれの応募作品を見たりアップした反応の評価やベテランさんからもらったコメントを応募指標とかにしていたと思いますし応募者同士の交 流や添削し合える刺激や勉強も多々ありました。僕に限らず多くの人はここで培ってアップしたちからが他所でも発揮出来ているようで見ていてとても眩しくも 思え、また同じクリピー出身者だ!と言う事で誇らしいですね♪
ですが、傾向は変わりつつありコミュニケート交流がメインとなった今のクリピーでは 多くの名作や、良い写真でも以前のように表に持ち上がらなくなって来ている傾向がありますね。日々稼働しているメイン層のメンバーさんが限られて来ている 事、以前多く活動してらした方々が他との二足のワラジとなっている事自体と経年経過でちょうど飽きるタイミング、次の面白い刺激を探す時期に達したのかも しれません。そんなタイミングだったろうと思います。そうしているうちに僕が以前と同じようにしていても探せなくなった指標があってそれは以前から傾向と しては全然変わっていないクリピーの特性でもあるのですがアップした最新しか見てもらえない、反応をもらえない傾向、その部分です。

一番 盛り上がっていた時のクリピーは知らない人の良い写真がグン!と持ち上がり大勢の人がコメントし合い、雑誌の入選者と直接コミュニケーション出来るメリッ トも大きかったので、そこから幾度か交流の後にマイクリピーとなり刺激が更に加速してゆく、そんな図式もあってへたな写真雑誌や教科書を見るよりも、自分 の気に入ったマイクリピーさんの写真を見たりコミュにてシーで添削し合って勉強したりで自分だけでなくメンバーさん全体の向上と発展も凄かった反面 で、、、その反動として、コンテストに興味の無い人と、コンテストは意味がありませんと言うユーザーさん、頑張ってるのにコンテストに入選しない人、応募 しない人は認めてもらえない傾向もあった事も確か。だから、今の方が居心地が良いなぁ(笑)って人も多いと思います。

だから自分のフォト ライフは変わっていないのに、日々のフォトライフの活動にクリピーのアップと応募があった人は国や政治が違うものに変わったくらいのギャップを感じたかも しれませんね。僕も数ヶ月間は戸惑いましたもの。日々当たり前だった100が別ものを加えないと100を満たさない訳ですからね。だから時期的に写真展の 開催の方向や、某サイトをメインとする移り変わりの流れ、デジタルフォトの休止とともにフォトコンチャレンジも丁度良い区切りとチャレンジ全部ヤメた方も おられるとも聞いています。確か似そうですよね、自分の100を満たすにも100の成果や反応を確かめるには仕方の無い事でフォトライフで今までと違う 100の時間を作らなきゃならない訳で。

これからの楽しさのもっとプラスと向上、上達のプラスに向けて

3年という年月は、恋愛の周期でも倦怠期や別れの多い期間で(笑)僕らアマチュアは仕事環境や家族の成長や愛用カメラ機器 の不具合や新製品が出ようにももう買えない時期でもあり、、泣。。中には同県のメンバーさんが諸事情で退会されたりを皆さんも経験したり、そう言う予兆も 見えて来ている時期ではないでしょうか。自分だけがバンバン楽しい中、何でも乾いた大地雨が降るように吸収出来る時期の方も多いでしょうが、乾いたままに なり地割れになり、雨ごいしても雨雲も恵みの雨の気配もなくてフォトライフの熱中症の方も多いのではないでしょうか。迷いや見てもらえる反応数も含めて。

僕 は知らずに口癖のようにつぶやいているのは「これからどうしようかなぁ」かも知れません。これは僕のフォトライフ自身は何一つ変わらなく、日々オフ時間に カメラを持つのが楽しい事が一向に変わって来ていません。ですが、僕のメリットの夜に自由に動ける時間が多いことからの星夜フォトも、もう機器の普及と多 くの人が撮るようになった事でどんどん追い抜かれて行く。一枚作例が出れば誰かがそれを模写となるだけでなくそっくりな複写も出回りその時点で自分だけの オリジナリティーは僕以外の人の手腕作品に次々と評価も変わる訳で、僕が以前から目標にしていた模範作品も幾人かのまるで隣りで撮影したコピーのような枚 数が見られるようになって来たりするもので、これは写真歴を重ねて始めてわかった事でした。僕の撮りたかったジャンルに限らず、マクロフォトの人もポート レイトの人も、自分だけのウリと思い自分だけの個性と評価されクリピーで持ち上げてもらったり、多くの人に評価を受けたものも、もうすでにそれを越える写 真が沢山後から後から出て来る訳です。

だからこそ、自分は自分と言う部分と、もっと新しいもの、もっともっと!と、走り続け、迷いながら 辞めない事、止っても良いから戻らない事、素直に感動する事の新鮮度を維持しつつ生み続けつつ、反省を顧みながら時には振り返りもしつつ、前へ前へ行かな ければなりませんね。新しいテーマだけでなく、日々誰にでも新鮮に見える切り口やまだ誰も感じた事の無い感動を探すのも撮るのも幾ら今日まで努力を積み重 ねても明日からも積み重ねなければならない訳でもあるのですから。ベテランさん程大変になる訳でありますね。

日々生まれる出会いや感動が写真である。テクや感性や技術は、、まず後々で

クリピーではもうフォトコンテストがなくなりそうしたものを目指すなら他でどうぞ、と、はっきり言う方もおられますがそれ は目指すなら当然でもあるのでここクリピーをメインにしてらした方も他の方面をメインに活用活動されるようになった変化、コミュニケートも、写真の向上と 評価反応を見る為にネットフォト活動のメインを変えた方も少なくない傾向も見えますね。デジタルフォト誌でフォトコンがあった時はここで多くのチャレンジ する同士が居てそれぞれの応募作品を見たりアップした反応の評価やベテランさんからもらったコメントを応募指標とかにしていたと思いますし応募者同士の交 流や添削し合える刺激や勉強も多々ありました。僕に限らず多くの人はここで培ってアップしたちからが他所でも発揮出来ているようで見ていてとても眩しくも 思え、また同じクリピー出身者だ!と言う事で誇らしいですね♪ですが、傾向は変わりつつありコミュニケート交流がメインとなった今のクリピーでは多くの名 作や、良い写真でも以前のように表に持ち上がらなくなって来ている傾向がありますね。

日々稼働しているメイン層のメンバーさんが限られて 来ている事、以前多く活動してらした方々が他との二足のワラジとなっている事自体と経年経過でちょうど飽きるタイミング、次の面白い刺激を探す時期に達し たのかもしれません。そんなタイミングだったろうと思います。そうしているうちに僕が以前と同じようにしていても探せなくなった指標があってそれは以前か ら傾向としては全然変わっていないクリピーの特性でもあるのですがアップした最新しか見てもらえない、反応をもらえない傾向、その部分です。一番盛り上 がっていた時のクリピーは知らない人の良い写真がグン!と持ち上がり大勢の人がコメントし合い、雑誌の入選者と直接コミュニケーション出来るメリットも大 きかったので、そこから幾度か交流の後にマイクリピーとなり刺激が更に加速してゆく、そんな図式もあってへたな写真雑誌や教科書を見るよりも、自分の気に 入ったマイクリピーさんの写真を見たりコミュにてシーで添削し合って勉強したりで自分だけでなくメンバーさん全体の向上と発展も凄かった反面で、、、その 反動として、コンテストに興味の無い人と、コンテストは意味がありませんと言うユーザーさん、頑張ってるのにコンテストに入選しない人、応募しない人は認 めてもらえない傾向もあった事も確か。だから、今の方が居心地が良いなぁ(笑)って人も多いと思います。

だから自分のフォトライフは変 わっていないのに、日々のフォトライフの活動にクロピーのアップと応募があった人は国や政治が違うものに変わったくらいのギャップを感じたかもしれません ね。僕も数ヶ月と惑いましたもの。日々当たり前だった100が別ものを加えないと100を満たさない訳ですからね。だから時期的に写真展の開催の方向や、 某サイトをメインとする移り変わりの流れ、デジタルフォトの休止とともにフォトコンチャレンジも丁度良い区切りとチャレンジ全部ヤメた方もおられるとも聞 いています。確かにそうですよね、自分の100を満たすにも100の成果や反応を確かめるには仕方の無い事でフォトライフで今までと違う事で同じ指標の 100の時間を作らなきゃならない訳で。

一番自由なはずなのに

だから僕らは一番自由なはずなのに、色んな誘惑や洗脳や押し付けられた解釈に未熟だからこそ一番制限されているんだと思い ます。機材の価格的に手に入れられない制限、ネットサイトの無料だからの制限、近くに仲間がいない制限、これらは全部僕らの思い込みだけの問題で、プロだ のように自分立場や収入にデメリットで言ってはいけない事もないし契約メーカーもないから自由な選択肢もあるし、撮影シーンやジャンルにしても要望や契約 指名題材もなく好きなものを好きなようにとって良い訳です。ネットもコミュニケートも一方的に振って来ても受けるだけでなく拒否の選択もスルーも他を選ぶ 選択も何でも仕事でもないのだから自由なんですよね。もちろん真摯である事、誠実である事の前提はいかなる時も必要ですが。
なのに、
僕らは自分で本当は無いシバリの中に勝手に飛び込んでもがいているだけのような気がしませんか?
僕らは勝手に自己暗示で小さな固執や押しつけ、知らない個人の言動に潰れそうになってる気がしませんか?

  • 2010年9月14日