なんとか
35mmと55mmのツァイス2本だけで
まるっと2月を撮り切り乗り切ってしまう遂行です。
自分の中でこの敢行任務(自分で勝手に制限を掛けているだけだけど)
は、なかなかの試練。
相当本来撮りたいものを見捨てて来たかもしれない。
でも、
適さない、撮りたいと思わない画角で撮った所で絶対に
後の良いものにはなっていないはずで。
もちろん他の機材でも撮って良い制約なんだけど、
どうしても出せるサンプルの魅力とか鮮度が気持ち的に落ちるので
ひと月と言う期間を決めてだからやってみれる事として
撮れるものの結果がどうと言うだけでなく
自分がその中で、標準画角単焦点を徹底的に感じる期間として
後々の僕に有効に良い効能があると信じてやって来てみました。
ボディーの方も、フルサイズαの2400万画素と3600万画素を
どちらがそのシーンに適しているかではなく、
レンズもボディーも均等に平等に差し替えて試していました。
話したい事は沢山あるんだけど、ここに書き出すと
機材レポートの意欲がここで満足しちゃうので今はまだ封印するけど
何だか思いの外、たった2本でもフォトライフが出来てしまっている自分が
ようく考えてみると不思議だし可笑しい。
僕のいつものナナニッパや14-24を封印し、
50mmと55mmの5mmの差って
本当は思うより撮るものの差が大きいんだけど、何だか面白く使えた。
自分のフルサイズNikon機、ミラーレスとしてOLYMPUS機を
比較に持ち出さなかったのは我が愛機への敬意である。
まして純粋に比較に値するレンズも無いし、コンセプトもまたしかり。
ざっくりぼやかして言うと、自分の為になる事なんだと言い聞かせて
とても誰の為でもない巨人の星の矯正ギブスをはめたフォトライフ。
この先、
この制限と言うギブスを外した時新しい変化球を投げられる様になっているか。
普段のツールでフィールドに出た時に意識せず知らずに
何かの観点が変わる事無くとも何かが増えていれば
このひと月の僕のドMな自分で書けた制限は、きっとこの先プラスになってくれるはずだ。
多分他の人には写真の成果から見えない部分なのだろうけど、
僕の中では、全て期間が終わっては居ないけど
撮って来たひと月の今日までのものを見ると
間違い無く変化ではなく、自分がプラスになっているものを感じる。
写真そのものにそれを出さないのも
写真にエゴを入れないと言う大事な要点から良い事だろうと思う。
この自分だけが感じられるこの感じ、
他の人に伝えようの無いのがちょっともどかしいけれど。。
写真では
伝えるべきものだけを伝えよう。
cozy