山形南端の片田舎に住んでいると
カメラですら家電店の店頭では
バカ高い値段で1世代前のエントリー機が置いてある程度。
ふと写真文献や写真集、ムック本、写真専門誌を見たい際でも
山ひとつふたつ越えてのロングドライブを敢行しなければならない。
そんな山ひとつふたつこえての品々探しをしようと思うと
折角の違う街並や空や風情に品々探しよりも写真を撮る時間に使いたくなる。
大きな街で大型カメラ屋や写真関連書籍の並ぶ書店に行くと
そんなにじっくりしているならその周辺のスナップを撮りたい騒動が生まれる。
そして、その場合、大きな買い物をしなくてだと
滞在時間と駐車料金の採算に結構こんなに?ってくらいP料金を払う羽目になる。
なので、いつまで経っても
撮らない時のフォトライフの有効時間に物足りなさが出来てしまう。
ネットで何でも買えるとか、何でも写真情報やノウハウが得られるかと言うと
もう僕の経年だとそれも飽和状態であり、有用な事も減って来る。
写真展でもそうだ。
我が町では僕の写真展をさせてもらう機会のあるブースと
せいぜい老舗デパート催事場と公民館的な待ち合いフロア程度。
もちろん質とレベルも都会のそれのような自分の写真の真をくすぐる感動や
自分の写真観を更新したり塗り替えるものなど皆無だ。
まあ、そうした事を経験しなくとも今日まで写真を続けて来ているのだし
そうかと言って、僕が世間のレベルからそんなにかけ離れているとも思えない。
でも、そうした事も
小さなコンプレックスや蓄積する物足りなさに繋がっているのかな。
cozy