「田舎拠点じゃダメなのか?」

 

山形の南端に住んでいる。

米沢市と言う所だ。

 

ここから思い浮かぶ風景名所といえば行動距離半径1時間から2時間範囲に

山形蔵王、宮城蔵王、小国、福島、福島裏磐梯、喜多方

まだ他にも写真展やコンテストでなど聞いた事のある地名は沢山で

雑誌の桜、紅葉、雪景色、ノスタルジー風景はある。

ただ、米沢市という拠点からの距離はいずれも中途半端な時間と距離かもしれない。

 

そんな全国有名ポイントにしては少し弱いが良い原風景の残っている場所がある故に

都会拠点のカメラマンや、アマがネットの写真のタグから、

また、観光地のペンションオーナーが誘客の為にツアーを組んだりして

僕よりも遠い距離に在住する人がさらっとその色々な光景を切り取って行く事もある。

 

そう言う僕は地元故に、

有料道路料金やロープウェイ料金を支払って踏み入る事にどこか躊躇と

日々のフォト予算の中での小金としてなんかその数千円の積み重ねをためらってしまう。

 

小市民にとって好きな写真の為にカメラの予算を使った事で精一杯で

そうした少額の出費の積み重ねが気持ち的に辛い事ってあるもの。

意を決めた旅、構想をねって予定を立てて数日間撮影敢行する訳でも

クライアントからここでこういうものを欲しいと言われている訳でもないとすると、

どこか心貧乏が出てしまうのだろう。

 

少しわからない。

少し複雑な心境だ。

 

置かれた立ち位置に。

 

置かれた環境と地元であり、振り返る故郷でも懐かしい風景でもなくリアルを過ごしている場所。

でも小さな小景や、ふと変化する光と季節が顔を出す光景には

出会いは宝くじや鬼ごっこのようなものだが、

今日まで撮って来たものの有名地では無いけど評判は悪くない。

良い光は振って来ているし、僕だから撮れるものもあるし

ワンこの散歩のように知らずに良い光景を散歩していたりもする。

 

なのに

桜のシーズンも、紅葉のシーズンも雪のシーズンも

本当は本音を言うと、とてももどかしい。

 

本音、

山形県米沢市とは、とても捉えるのが難しい土地だ。

絶讃される賞を獲った光景でもなければ、

幾人もの写真家が憧れて魅了されて毎年四季折々に訪ねて来る事も無い土地でもあると、、

この際だから言い切った方が僕の立場からすると気が楽になる気さえする。

 

人は羨ましい環境だと言う。

なら、なぜ来ない、

なら、なぜ撮らない、なぜ広まらない?

そこにも小さな遠巻きな答えがあるのかもしれない。

 

そんな中で僕は日々光と影と季節と風や太陽と

誰にもみられない鬼ごっこをしている。

 

少し話しが反れると、

今年の冬は愛犬を部屋に看病していて(部屋の中では飛び跳ねまくっていて安堵ではあるけれど)

寒い雪国で愛犬が何とか過ごせるよう暖房を絶やせないので撮影に飛び出せないから

少し愛犬には申し訳ないがストレスもあるのだろう。

これははなちゃん側からも僕側からもお互い様なのだろうね。

大好き過ぎて離れたくない方が気持ちとして大きいから

自分では納得はしているのだけれど。

 

今日までの人生の全てをこの土地で過ごしていると

愛犬に対する愛のように、時には愛ゆえにイラダたったり、もどかしい事もあるのは

僕のフォトライフに置かれた環境にも言えるのかもしれない。

 

 

純粋な田舎生まれで田舎育ちゆえのコンプレックスだけなのだろうか。

良いカメラだけは食費を切り詰めてなんとか手にしたが、

身動きの日常の足代すらもったいない貧乏じゃ心の観点がダメなのだろうか。 

それも自分の個性と言い切れればある意味もっと別のフォトスタイルだっただろうか。

 

 

玄関犬として散歩コース以上に広い世界を知らない愛犬「はな」と変わりない気もしている。

愛犬はな、今日現在、散歩もドクターストップで少し体調が悪いけど、君は幸せですか?

足元でウロウロチョロチョロしている君に言葉が通じるなら聞いてみたいものだ。

君には幸せだったと絶対に言わせてあげるつもりだ。

 

僕はどうだろうか。

 

今は、少しわからない。

 

狭い環境だと、華やかでない環境だと、そうだけ思ている訳ともまた違うし

答えも出ないし答えなんて無いのだろうか。

 

 

育った環境、生きてる環境は、選ぶものでも選ばれるものでも、運命でも、、

どれにも当てはまらないもので、

その価値観は自分でコントロールして行くものなんでしょうね。 

 

 

 

 

 

cozy

2012/02/19