バランス


      35mmF2Dでも買い直して、

または28mm固定カメラ、35mm固定カメラ

フルサイズでもAPS−Cでも使えるように

FX対応28mmレンズでも買って元気を出そうかとも考えたのだが。

 

 いかんせん、山越えして買い物に行こうとすると

前日書いたように長距離運転の途中で眠くなって挫折してしまう。

地元では現物をえいやと勢いだけで買う事は出来ない。

在庫が無いからだ。

 

 単焦点にすがろうとしたのは実に簡単明瞭理由だ。

一般に難しいとされているからではなく、

逆にとても簡単に制限と言う枠に挑むから

すがりやすいという安直なものと言うのは本音だろう。

画質もボケも間違い無く奇麗だから

被写体そのものの力が80点でも見栄えとしては100点に近付け易いからだ。

単焦点だからの画角の制限は実はあまり問題では無いとも思えて

制限イコール支え易い課題でもある訳。

 

 難しいと思える概念から

撮り得た時の満足が高く、描写の美しさも加味され

フォトライフにおいてリア充実に持って行き易い。

 

 メンタルのバランスが崩れているからの発想は

事実上の行動と踏ん切りが無いから実行に移せていないが

もしもう少し行動が増えた時には

50mmF1.4を持っていても

もう一本F1.8とかの50mm 1.8を2万円で買うか

DX40mmを持っていてもDX35mmを買うかもしれない。

FXの28mmでもDX35mm感覚で使えるから良いかもしれないと思った事と

FX35mmならDXでも50mmとしても同様の理由だ。

新型カメラを諦めたのは資金面でしかない。

本来ならD800かD600を買ってMacを最新にしてと言うのが

ここから元気を出すには間違い無く良い効能がある事は眼に見えている。

事実上出来ないだけだ。

 

 確かに

ペットレスの気配は間違いない。

ただそのバランスの欠如の根底は

ワンこのせいではなく、ワンコを言い訳にして

それまで取れていたバランスが取れなくなったと言うのが正解だろう。

はなちゃんそのものは間違いなくかけがえの無いものだったのも勿論間違いではない。

ただ

未来を逆算した時の生きて行く上でのザックリした計算も

あるものの前提で生きて行く上での辛さや不満を去なして来ていたから

その欠如でバランスが崩れた事は

愛という事と同じ分量の

ツマらなさや苦痛から耐えていた生活そのもののバランスまで

釣り合わなくなったからの他ならない。

 

 時が経てば

また同じフォトライフになれる、またそれ以上のフォトライフが出来ると

表面では言って来ているが、それは今日を支える為の良い訳で

本当はそう思っていない面も多く

カメラを買おうがレンズを買おうが旅に出ようが夏が来ようが

じつは僕にバランスの崩れは

はなちゃんがもう居ない事と平行して

同じくらいそれで支えられていた

見ずの事にして来た事や2の次にして来た人生そのもののバランスを

見ずと思っても見えてしまう現実が目の前にあるからだろう。 

 

      どこかで

フォトライフとしてファインダーを見るよりも

これだけ明日が丸裸に見える今だから

もっと真剣に明日を生きる事だけの再起を考えても良いのかもしれないと

 

 どこかで思ってしまっている。

 

 

 

 まあ、それには

何か幾つかカメラ遊び再起しながら考えたくて居たりするんだけどね(笑) 


2013/07/06