吸えぬスポンジ

 はなさん

今日は一日点滴のおかげで自分でお水を飲めました。

ご飯は、、点滴でお腹いっぱいのせいか、、食べませんねぇ、、

 

 はなさんに

居れる時間の大半を添い遂げているので

まだ読んでいない写真雑誌が2冊あるので読もうと思ったのですが

なんかまだ紙袋のテープはそのままだったりします。

 そう言えば先月の雑誌も

なんか深く読んでいずに今月の新刊を買ってたなぁと、ふと。

 

 ここまでずっと

撮る暇と仕上げる暇と写友さんとかルーティンの閲覧意外の時間が出来ると

ようく写真誌にかぶりついていたものなんですが

前月とか前々月とか、今年に入ってからかしら、

なんだか読み込めていない感覚が今日あらためてよぎりました。

 そういえば録画しているTVドラマも見切れてないし。

 

 

 どこかお腹いっぱいなんでしょうか。

 

 吸収する事とか消化する事に。

 

 

 写真誌って僕にとっては

標準基準感覚を保つ指標でもあり公正で責任ある情報として

ネットとかで気軽に目的の必要をサーチしてしゅっと得る情報や知識と違って

受け入れる事とか吸収する事とか納得までの過程とか

読み返す事繰り返す事振り帰る事、得る事の密度に希薄さの無い点から

大事な事だと思っていました。

 

 で

今日はタイトルにあるスポンジに例え、

さっとたっぷり吸い込んでも、じゅっと一握りでカラカラになったり

たぷたぷに浸ったスポンジはこれ以上水分を蓄える事が出来ない事や

吸収の量やスピード、乾燥や吐き出し、

とか色々な観点で

今日は何も役立つものを吸えないスポンジみたいな感覚かなって

そう思った訳です。

どこか潤沢であってもどこか希薄でもある感覚も含め。

 

 で、

それらの例えをノートにつらつら加工と思った時に

ふと、写真に置き換えた時にも色々当てはめられるぞとも思い始めました。

 

 密度と言う点でとか見てもらう観点からは

スポンジのようでは良くないなぁとか

逃す事無く素早く何かを吸い取るよな事としては必要かしらとか。

 

 

 

 どうなんでしょうね。

 

 同じ四角いものとして

鉄とか石とかレンガとか、クリスタルが良いのか

豆腐のようにか、粘土にように形を変えられるものが良いのか

まぁ、臨機応変でフレキシブルなのが一番だろうと言う結論なんだろうけど。

 

 

 

 ちょっと今日は

どこか出来の悪い、使途に適してない使い方使われ方をした

スポンジ感覚のような何かを覚え、

それに対してひとつの答えも浮かばないまま

あーだこうだ色んな事を色んな事に当てはめて考えてみたい感じの私でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

cozy

 

 

 

 

2013/06/06