シュールなスナップや静まり返った街や風景を被写体としがちな人が

きまって根暗とか陰気とは限らないけれど、

僕の写真を好んでくれている人の中で

いったい

僕が本当は明るいとか暗いとかの

真相の立ち位置を読み解けている人はいったいどのくらいいるだろうか。

 

 

僕は基本、

暇すぎたり時間を持て余したり

空白に耐えきれない時に写真を撮っていた気もする。

光や影を探すのは充実だし

見返す事のできる産物を残せた事はこの上ないものになる。

 

その根底は、

世の中からかけ離れた

ちょっと世間から

突き放されたとか、孤になったり故になったものへの

自己トレースとか投影や共感とかなのかもしれなくて。

 

僕は人と接すればまあまあ普通な気もするけれど

根底は

友達の少ない孤独で一人の空間や一人の時間が好きな、

もしくは単純に全方位でソリストっぽいと思う。

テレビに集中している時に話しかけられるのを嫌ったり

何かを見ている時に話しかけられても反応したくなかったり

そんなクセモノな部分も結構ある。

 

言い換えれば

知らずに浮いている、

そんな奴なのかもしれないなぁと思う。

 

よく

写真愛好家は孤独や根暗の代名詞にされる事もあるので

それって都合良いかも知れないな。

 

長く写真を趣味にしていると

なんかが加速するかと思ったけれど

今日の時点で何も変わる事って振り返ると無かったのかな。

で、不思議に写真の趣味から離れなれないところはあるのだけれど

日々繰り返される、

自意識高い系の写真愛好家が多いところ、FBとかツイッターとか

俺ってセンス良いでしょ的な写真愛好家の多いインスタとか海外写真サイトとか

今日現在も全く苦手なのは変わらない。

一時期、一生懸命流れに乗ろうとしてFBもツイッターも

連日頻繁に活動してみたけれど

それは結局、誰と繋がりが増えるとかというよりも

他人のパワーやオーラに飲まれて自分嫌いになったり

リア充パワー高き自意識と自己センス高いでしょオーラの愛好家に

何か真綿で首を締め付けられるような気さえするようになった。

 

今振り返ると一所懸命にフォトサイトやFBやツイッターをしてみて

アクティブな人を結構ウザったく感じたりする気持ちが

今とてもよくわかります。

当時、僕が真逆にそう思われていた事も。 

 

 

結構伝わってると思うんですよ。

僕の写真から伝わっていたり見え隠れしていたり。

見る人に伝わっていると思うんですよ。

本当は

僕が

孤独だったり孤立していたり

独りぼっちだったり

人嫌いや人見知りなとこがあったりな事が。

 

だから

以外と僕には

写真という趣味が合っているような気が今でもしています。

家族や仲間やメモリアルを撮るって事じゃない部分で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

cozy

 

20016/05/19