幾ら写真のうまい人でも
シャッターを切らない事には写らない訳で。
その当たり前の行為の
シーンに立つ事と、その時間を作る事が
全ての前提にあり
その充実度や有意義度で後々振り返った時に良いか悪いかの大半が
もうすでに決まってるような気がする時ってありますよね。
日々のストレスを忘れさせてくれるものと出会う時もあれば
引きずったメンタルが良いシーンでもそのまま悪い作用に働いたりも。
良い仕事に一番邪魔なものは精神論だと時に言う人もあるし
それが間違いでは無い時もあるのがだ、
それは仕事として、製品として、産業としてある時ではないだろうか。
よくナルシストな意見に
写真は写心だ、写真は瞬きがシャッターだという典型的な事も
自分でそう思うときもあれば
その逆に人が言ってるのを聞くと嗚咽が走る時もあるもので
そう見えてたり思ったりするって事は
写真と精神論は多かれ少なかれゼロにする事は出来ないのかもしれません。
難しく考えないようにする事を考える。。。
そんな矛盾と似て
脳なり見聞なり生活なりを完全に払拭して分けて考える訳にいかないから
だからこそ
写真を前提としない時間も含め
日々や今を豊かに過ごせるようせねばならないと思う今日でした。
2012年になって撮影し良いものを今ようやくMacに取り込みをしています。
撮影の主観が抜けた今、
その時々の写真を見ながら振り返っているから
そんな感情が浮かんでいるのかもしれませんね。
cooy