目が悪い効果

過去に目の悪い事は何度かノートしているが

よく一眼レフの官能性のうえで

ファインダーのあれこれは誰し熱く語りたいものでもあります。

 

眼の良い人の想定として

遠景でもパンフォーカスで状況を確認する事が出来る訳だが

僕の場合、眼鏡を着用してもパンでくっきり眼に見える視野の割合は

おそらく全体の19対9の肉眼のスクリーンの

眼鏡のレンズの範囲のきっと4、5割だと思う。

それに加えて望遠レンズでいうF2.8的な深度でしか見えていないと思う。

 

だから眼の良い人がファインダーで被写界深度を実絞りで確認する行為が

僕の場合は脳内の想定でしか実絞りの感じを把握出来ていない実情があって

眼の良い人のファインダーの官能性と僕のフォトライフで写真で見るその3D感の官能性は

実は相当視力の善し悪しで個人差がある事だと思います。

 

標準画角的に5m〜10mの範囲を見た場合、

カメラを付けて構えずにザクッと見た時はきっとF4〜F5.6くらいだろうか

なので、50mmの近距離最短距離付近のF1.8くらいの感覚が

裸眼で爪を切る時のボケ具合と言ったら良いかもしれない。

 

そう言う意味で

実に僕の眼は標準や望遠レンズで言う一眼の大口径レンズのような見え方なのです。

 

眼の良い人は

だから、ファインダーでレンズを通したあのフルサイズと大口径のボケ具合を

ファインダーの官能性と絡めて、その上で写真が肉眼よりも

ファタスティックなものとしていると思うのだが、

 

僕の場合肉眼で写真を撮ろうと必死で眼と脳をフォーカスさせる事が

実に一眼レスのファンタスティックのそれとリンクするので

逆に言えば構えないで見ているものがファインダーを覗いていないその時点から

あまりカメラやファインダーの官能性とのギャップが無いし

OVFとEVFの官能性にギャップが無いと言うかファインダーの官能性に依存出来ない

眼の悪さがある意味で良い意味で

見え具合と気持ち良さを重要視しなくてフォトライフが出来ちゃう事に繋がってるのだろう。

 

行きたままの見たままがフォトファンタスティックなボケた前提なのだろう。

 

視力が0.01以下で、加えて老眼で

裸眼では目の前のレンズで言う最短距離のものが絞り開放で見えていると言う

そんなちょっとした目が悪いが故にメリットなのかもしれなくている。

 

眼は良いにこしたことはないし

僕は生活の上でも撮影の上でも今の視力で結構困っているし快適ではないから

眼の良い人が羨ましい事も多いのだが

 

僕は生きているだけで

尋常でなく眼が悪い事から

生きて見えているもの全てが内蔵カメラレンズな気のする時が多い。

 

ちょっと最近、

あまりに日常の視界と言うか、人生の先行きの視界がよろしくない事と

季節的な事とから、瞬きシャッターのリターンが芳しくないのが残念だ。

 

で、

やはり、日々の潤いや密度や

生きていてのキラキラから

 

生きて見えているそのものがキラキラして感じられる事が

 

一番

フォトライフに良い効能なのだろうけれど。。。。。。

 

 

 

 

 

 

今日現在のサイトTopはそんな心情も合わせて

眼鏡と僕の見えている視野や視界と深度と似ているものとしてのチョイスです。

 

 裸眼だとほんとこんな感じが見えた透過なんですよね。。。

 

 

 今回の話しは

裸眼では自分の伸ばした指先すら見えない僕の眼のお話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

cozy

 

 

 

 

 

2014/04/8