「写真のホームラン」

 

 2012年になってもカメラには写真には

まだまだ誰でも簡単に撮れるものでないツールが存在します。

フイルムだけでなくデジタルカメラにも個性的でじゃじゃ馬なものもありますね。

 

 そういう個性の尖ったツールを使ってる人が必ず言うのが

このカメラで撮った写真ってホームランか三振かなんだよなぁ、、と。

もちろんその「当たり」はその撮者によってのものだけど

僕が個人的に思うには、

僕のような撮り手が使っているものと同じ数のホームランが打てれば

そりゃぁ間違いなく個性的カメラの扱い手が凄いって事になりますけど、

当たりが出たときだけ凄いのって言うのは、

撮り手でなくてツールが凄い訳で、撮り手のアべレージはまるっきり同じなんじゃない?

ってな事になると思うんです、冷静に考えれば。

 

 んで、僕のようなベーシックな機器でのホームランの飛距離と

ホームランはホームランで価値も場外までの飛び抜け方だったとしても

年に幾枚かの限られたチョイスした同じ数枚のホームランだとすれば

カードゲームの祭典の総合ポイントは変わりない訳でもあって。

 まぁ、そこまでのプロセスとオトコノコで言う

プラモデルの作ってる過程の醍醐味って事に日揺する事って出来る感じがしますが

僕のようなツールを使うものをあまりに卑下するそのプライドの高さには

正直アマチュア間のトークの中でぐっと僕のような立場のものが大人になって我慢する機会が多い。

判らなくはないんですけどね、そういう強い個性のツールを求める事に関しては。

 

 拘りやマニアック度って

時々とても大事な事なんだけど

拘りやマニアック度って

時々とんでもなく邪魔な時があるものですね。

 

 プロや有名人、芸能人有名著名人と同じつぶやきを仮にツイッターでつぶやいたとしたら、

そんな事を僕らの立場に置き換えるとわかりやすいかもしれません。

フログやHP、FBやツイッターで連日

まるで写真レビューを写真家や業界コラムニストのように書きなぐったとしても

ちょっと虚しい感と説得なの無さに切なさが漂う気もしますね。

 

 僕もいつかは

自分のフォトライフを写真と言葉で残したくているけれど

プロのフォームは個性的なフォームのホームランバッターのスウィングだけを真似るのではなく、

フィールドをランニングしたり今を、新しいものを、時代を、頭も身体も柔軟に

心技体を兼ね備えた人間的なバネやフォトライフの一番を司る人としての見聞を

鍛えてかなきゃならないなぁと思う訳でした。

 

 あのホームランは感動的で忘れないホームランだと言う写真を

一生に一度だけでなく、現役選手で何本も打てるようで居る為にも。

 

 

 

 

 

 

cozy

2012/03/14