その最高はいつまで最高なのか。


      先日は写真として色褪せないもの的なノートを書いたが

今日はツールとしての色褪せないものや善し悪しみたいな事を。

 

 自分の撮影ツール、

それぞれ拘りを持って吟味して検討に検討を重ね

その時点の適したもの、出来る限りでの最高のものをチョイスする、したはずだ。

 

では、

その最高の惚れ込みの鮮度はいつまでもものなのだろうか。。

デジタルは進歩進化も陳腐化も早い

レンズは一生ものだと良く言われて来たけれど

どんどん高解像で高精細なものも年々生み出されている。

もちろんそれを越えられない事と言うのも時々あって

銘器名品は生まれていつつも不偏のそれしか無いレンズと言うものもあるのも確か。

 

 それでは、

センサーやボディーはどうだろうか。

良く話しに聞く、低画素時代のCCDセンサーは良かったなぁという

数年前に交わされた話を、今日現在で聞く頻度はどう考えても減って来ている。

つまり、その当時この時点の個々までのものが最高で

この先の時代にそれを越えるものが無さそうだって話しは

時が過ぎると、待てよ、ふりかえって時が過ぎればそうじゃなかったなぁ、

と、そうなっているものの方が圧倒的だ。

それが良い事か悪い事かはどちらか決める事でもないのだが。

 

 今、僕が貴方が使っている、今の時点で満足感があって

コレの代わりはないだろう、、ってツール、

それはいつ開発されていつ発売されて、いつまで現行品で

いつになったら旧製品になるのか、、、

大きな決断と出費で得たものであって、

少し虚しくもなるけど日本の四季を幾つかサイクルする経過で

それって変わってしまうツールな時も多いものですよね。

 

 今、一生で最初で最後の大恋愛のように思っているツールが

幾年後かに、次の製品でそれを越えるトキメキと

今の不足を解消するものが出た時、、、

いつかそれがサブ機になり、または自宅の防湿蔵から出なかったり

仕方なく下取りに出したり、

少し切ない想定も残念ながら浮かんでしまう事もあるはずだ。

 

 その他の幾つかの要因として

今大恋愛のツールへの拘りの反動には

例えば簡単な話で言うと一番フラッグシップのレンズが

予算の都合で買えないという事から来る本音は金銭妥協で

限られた予算から納得の決断をしたレンズとか、

ニュートラルでなく、フラットな特性でないという部分とか

癖とか傾向特性がナチュラルでない製品としての未完成な部分を

人から言えば単に扱いにくいと言う事をトガった個性だと当てはめて、

楽しみに変換したり当てはめたりもしてしまうものだ。

それはそれで楽しいのだけれど。

 

 ツール選択の半分は

大きさや重さも含めたとしても

大きな要因に順番で挙げるのならば

資金的に買えないという事が我々の中では結構大きな要因である

事実現実でもあるんですよね。。。

もちろん僕もそうですし。 

 

      だから

時々恰好悪いときもあるんですよね。

自分のアイテムを最高最高、もうコレ以外考えられないって

声を大にして毎日のように恋愛報告するのって。

僕もカメラ愛、レンズ愛は

写真愛と同じくらい延々と語りたい方ではあるのだが、

 

 時々

クソ程聞かされるアイテム愛にうんざり飽いてしまうのも事実で

 

 でも、なんかとことん愛して拘りたい気持ちも凄くあるし

 

 単なる制限の中で選んだモノでありツールでありだけど

家族や友や恋人や、コレが僕の人生を変えたんだと

一晩でもふた晩でも言いたくなるような事も間違い無くあるのも事実。

 

 その最高はいつまで最高なのか

愛と拘りをもって接するツールやアイテムに関しては

時代で変わるものでもあるけど、資金で妥協もあるだろうけど

その最高の変化には

 

 きっと答えは無いのでしょうね。

 

 良いものを生み出せればどんなものでも良いんだと言うのも

高い安い、評判の良い悪い、癖や個性の有る無しを含めても

確固たる答えが有ったり無かったり。。

 

 面白い事だし、切ない事だし、嬉しい事だし、切ない事だし、

一生ものと言えるものと出会いたいし手に入れたいし

でも、どんどん良いものが生まれる事も大歓迎だし

 

 カメラ談義、写真談義は

 

 時々

 

 答えが絶対断定出来ない事の方が

面白い事、良い事もあるのかもしれませんね。

       


2012/01/18