ここひと月の想い あれこれ

ここひと月程、フォトライフを過ごす中で色々と

有意義な事ってなんだろうって思う事があって頭を占領する事が多かった。

写真をどう発信するか、しているか、何に夢中で何が楽しかったかを

写真を通じて色んな知り合った人々から

その発信先のブログやサイト、FBやツイから覗いてみました。

 

人は人、好きならそれで良い、、そう言えば全てが済んでしまうというのは置いといて

僕が感じた中で、何でしょうか、不思議とカチンと来る強い抵抗や

はぁ??と反発的な想いをなぜかいっそう感じてしまう結果となりました。

強い感情で言えば、

時に拘りって、とても人にとってウザたいものや、

ガツガツガツガツされると、どん引きしちゃう方が多いものですね、何でも(笑)

と言う事かもしれません。

 

そんな中で写真好きの中でも幾つかの傾向がある中でくくると

○もう作品然としたものを、どうよどうよ!と強くアピールしたがる派

○何でもかんでも日々のありったけを小さなものでも何でも挙げたがる派

○本当に自分で気に入ったものや残したいものをこっそり大切に残したい派

の3つでしょうか。

それに付随するカメラツールも

○何でもかんでも勝負パンツ(笑)のように拘ったカメラ機器派。

○写メも一眼もカメラは持っていて撮って写ってナンボ派。

と様々ですね。

 

その中で僕が今回思った事は

 

特別なアイテムや個性的なレンズや機器のカメラは

普通に撮って記録になるものも機材の魅力で作品っぽい魅力が増しちゃう錯覚と、

コンデジだろうがミラーレスや一般クラス一眼やレンズだろうが

良い被写体との出会いや良い光と影さえあれば、

それは逆にとても魅力的な作品と呼べるものにまで昇華するんだと言う

とても両極端なものが見えて来た。

 

撮った状況や気持ちや思い入れももちろんあるけど

機材に拘る人が気合いと何か撮ってやろうって気でモノを探したり余暇を使ってるのに対して

余暇を過ごしていて写真にしたいものが生まれたから撮り残したってものとでは

必要や適宜なツールが違って来て、後に振り返った時にその写真をどう仕上げようとも

良いと言う人の数が圧倒的に違って来るように思えた事と

良い機材で限られたものだけを撮る事の意固地な事の弱さや切なさを感じたりもした。

 

 

僕の感想を数行で言ううのなら、

 

日々の中で撮り手の魅力をいかにどれだけ魅力的な事だったと感じるか、

と、

極端な話し、機器個性や写り映えの魅力だけに依存しているかの差が

いかにも大きいと言う事かもしれない。

 

つまりは

余暇に気力を燃え立たせる一眼オタク一眼マニアよりも

日々そのものをどう楽しもうか、楽しい日常って大切だよねと思ってる人で

僕がどちらを素敵だなぁと思ったかの部分です。

 

もう答えは当然わかりますよね。

 

どこかで少し自分が恥ずかしい感じや

もっと肩の力を抜かなきゃととても思った訳です。

 

もっともっと大事なのは

間違いなく

機材や技術や思い入れの情熱ではなく

どれだけ日々の見聞や感情や感動を豊かで敏感に楽しめているか、

クリエイト出来ているかの部分なんですよね。

 

そんな部分なんだととても思った期間でした。

 

日常のキラキラに反応して

それを写真として素敵に撮り残したい

 

それこそがフォトライフと言える事なのかもしれませんね。

 

ハイアマとかベテランとか良い機材とちょっとの注目されたからと天狗な人の恥ずかしさ

自分としても恥ずかしさと取り返しのつかない悪い目で見られているかもしれないと、、

ちょっと怖くなりました(笑) なので僕の活動がここの所大人しかったとも言えます(爆)

プロを意識し過ぎる高級機材に天狗なアマやハイアマを

これ程アホらしく思った事は今まであまり無いような気がします。

僕のツールも世の中の平均シェアから見れば高級機材なんですが、

だからこそ、、、そう見られなくない思いでいっぱいです。

 

 

 

 

cozy

2012/01/12