未来へ持って行く写真に 今出来る事

今日までの写真は 未来へ持って行くもの

みなさんも、今日まで色々なカットを山のように夢中で撮って来た事と思いますが、その一枚一枚のカットを皆さんはどのよう に未来へ連れて行きますか?僕が写真に目覚めた頃はこんなに写真が楽しくてハマる事など想定もしていなかった事もありますが、最初の頃、コンデジでのカッ トはjpeg撮って出しで300万画素とかで撮っていました。今現在1400万画素、1200万画素のRAWで撮る必要性も何も感じていなく、それで充分 官能的で楽しくて完璧だと思っていました。

 

ですが、コンデジ時代のデジイチに移項する数ヶ月前からRAWで最大サイズでの撮影に切り替えての撮影スタイルへ変えてい ました。モチロンそれは現在でもそうで、僕の保管状態はライブラリもここやネットやコンテストににアップするもの意外全部RAWでMacの中にはjpeg ファイルはあまり存在していません。それには幾つか考える事があり、いつでも最良の状態で最大限質を維持したいからです。
このカット→も、上の カットも↑数日前に約一年前に撮影のカットをRAWから現像し直したものです。これがもし、小さいズのjpegで撮影したならばそういった試行思想も浮か ばなかったでしょう。ですが、当時無難に撮れただけものものでも光の階調のトビ際、オレンジの調合、構図トリミングや傾けたりして雰囲気を見直すとした時 に、原版が荒れた小さいサイズのjpegではリファインも出来なかった事でしょう。

コチラのカット←も、去年の春に親子連れがいい位置にとまって空を見上げてくれての光景なのに、この逆光土手と桜の色味が うまく出ない事、10-20mmレンズのためにパースがキツく、全ての空や部分ごとの色風合いの帳尻に納得いかず残念ながらボツにしていたカットですが、 このシルエットがどうしてもここの近くを通るたびに惜しい事をしたなぁって頭をよぎるカットでした。
それで、一年間保留していたわけですが、
ふととある日に、このファイルを突いてモノクロを試行してみようと思い立った訳です。このカットの調教も、jpegだったら考えなかったでしょう。RAWで何度もトライ&エラーをして育てる事が出来たから表に出せる1枚に昇華出来た訳です。
将来カラーへ発展させる事も出来る展望もRAWならありますしね。

アマチュアの特権でもある

一番の僕らの特権は一枚の写真に良い意味で責任と価値をどうにでも扱える事で、これがプロさんや仕事での入稿になれば仕上 げの時間の制約や小さなカットのjpegで、その日限りでサヨナラしちゃうカットもあるのかもしれないが、趣味であって素人でキャリアも経験も撮れた時点 でのクオリティーも低い写真を生み出す訳ですから、いつでも最良の状態へ見直す時間もそう言った作業や現像経験も今からさらに成長する訳です。
そ んな訳で、一年前のカットでも僕らにとってはシャッターを押した時から時間はもう過去へと動き出す訳で、その時うまく納得がいかなくてもその押したシャッ ターの瞬間はどんなに編集しようが色や風合い、階調を変えようとも、根底のそこに立って撮影した事実の履歴は一枚の写真として何も変わる事では無いのだと 思う。だからこそ、そこで撮り納める事が一番の大前提で、多少納得の色や風合いがそこで得られなくても、大事な感じた根底をつれて帰れれば言い訳です。も ちろんそこで納得の仕上がりで未来にもっていっても絶対にこの時の色がベストだ!と言い切れるならいいのだろうが。

その時の感情、それだけでは未熟で、現場の感動や撮影の主観がさめて来ると、今度は色々なものが見えて来るものです。そう した時に当時感じた↑ものと、写真の本来の風景、光景、現象の素敵さ、魅力といったものの接点やどこに印象と見てもらいたい主力テーマを置くかが今になっ て見直して、やっと出て来る事もあると思うのです。
僕らはキャリアを重ねて行ってもアマチュアです。だからこそ一枚に付き合える時間の制限も、こ うしてはいけないといったセオリーもある意味なく、いつでも好きなだけとことん一枚に向き合える訳で、いくらでもそのカットとお話が出来る訳でお化粧も パーティー夜メイクにも素材の味を楽しむ料理にも着せ替え遊びも良い訳です。そんなときの為にも当時未熟なカットを育てて、今現在なるべく一発でイメージ に撮れる為の復習を出来る事で、いつボツカットが名作に昇華出来るかの可能性も無限大な訳です。

最良な素材で未来へつれて行く

今日現時点でデジイチの性能性精度的なものは2000万画素の時代が来ても、800万画素から1200万画素もあれば 未来でも充分通用すると思います。毎年毎年新しい最新機材性能で無ければ今撮った写真が未来で陳腐化するものではありません。来年もっと良いマシンが出る からと言ってもそこにはPC、Macの性能も含めた追従が必要な訳になって永遠に追いつかないもので、だからこそ今出来る範囲で最良な質で今を刻む事を大 事に考えても良いのではないだろうか。過去のフィルムを民生機のスキャナで自宅でデジタルにした所で名店ラボ現像の質には追いつかないのとは違い、僕の主 観ではデジイチも600万画素以降のRAWファイルなら未来でも十分に通用するものであると思います。その根底には現時点で出来るだけ納得のいく撮影が出 来ていれば良いだけの事かもしれませんが、時代とともに写真に対する風合いも色の刺激も変わります。ある意味でフィルムの嘘のようなこってりした青や絵画 のような濃いものは未来では古い画風と言われるかもしれないですし、現在のデジタルならではのリアリティーあるものも未来ではただの記録と言われるかもし れません。そう言った意味でも今を最良の状態で、未来の時代になった時点で今日刻んだものを未来の当日の一番懐かしめる風合い作品に開き直しても良いと思 うのです。

このノートを書いた経緯には
キャリアのある先輩やベテランや現行のプロさんのフィルムの経由、モノクロ全盛の
古き時代だけを良き時代だと思っていない僕の、
今の一瞬が一番良き時代だ!
良き瞬間を撮り重ねて刻んで未来へ繋ぐだけだ!
と過去に拘りのないフォトライフを歩き始めたヤツだからこそ言える事かとは思います。

でもそれが
今、一般的な客観で
写真を未来へ最良でまっすぐ見据える万人大多数の道程ではないだろうか。

子供や家族友人を撮り納めるだけならばコンデジでも写メでも
デジイチでも小さいサイズのjpegで今の性能なら充分だ。

でも作品と言う域、もっと深く一枚と付き合って写真が趣味だ!と
胸を張るからには今日書いたテキストのような向き合い方も深い充実を
未来に持ち越せる、未来でも新鮮に過去の一枚が昇華してくれるはずだよと

今現在、出来る範囲で良い状態で残せさえすれば
それは全て過去のウマく撮れなかったカットで終わらすに済む事なんだと。

その当時、未熟で露出やテイストや構図、現像が下手なだけで
ほんのちょっとその写真の背筋と襟元を正してあげるだけで名作へ生まれ変わる
そんなカットが沢山あるはずですから。

その為にもと

僕はそう思うのです。

2009年3月27日