「違うと思う色んな順番」

 

 あの人のような写真を撮りたいからと

時間を作り、場所を探し、こう撮れるはずだという

想定や条件を念頭にする事って

時々違う気がする時があります。

 

 もちろん僕もひとつの定点に足しげく通う事もありますが

その切っ掛けの前提って

まず先に旅した(旅でなくとも散歩でも散策でも同じ)その先に

その日その時の現場で感じたものを撮って持ち帰りたいという

気持ちが生まれる事が前提になったものの方が

振り返った時に、結果として人に感銘が伝わったり

惹かれるものだったり、いいねと言ってもらえる写真に

知らずになってる事が多いと思うのです。

 

 だから

オフだから、週末だからといって

事前から目指す目的をどこかから模写や複写しようとして

想定をめいいっぱい描いて情熱的に撮影を狙う

意気込みの空回りみたいな事に、僕は時々違うんじゃないかなって思うんです。

 

 基本の一番の前提に

何か撮る為に旅をする、散歩をする、散策をするという順番ではなくて

旅をした、散歩をした、散策をしたの

その結果その道程に写真に撮り残したいものがある事が

順番としてフォトライフの正解な気が時々するのです。

 

 だから

何がら年中ハードに予定を立てて、

それを生き甲斐に朝夕の名所の絶景だけをライフスケジュールに組むのだけでなく

名作に近い環境や条件やシーンの下見だけに入れ込むのではなく

もちろん僕もそう想定して年に幾度かは

素敵な感動に導かれ易い近道を訪ねる事はありますし

そう前提が無ければまず撮れないだろう光景や情景って絶対ありますし

それが出来なくていい写真を残せない人も沢山いる訳だけど、

 

 やはり、

基本の前提には

 

その前の順番として

最初から事件を捜索する刑事にならずに

買い物の途中の十字路で出会い頭に美女と鉢合わせにぶつかる

想定に無いロマンが

感動や振り返っても鮮度の落ちない写真に繋がるのではないだろうかと

 

 

 

 

 今日の僕は

そんなふうに思うのでした。

 

 

 予習復習と

保険をかけ過ぎてみたいなと

想定とシュミレートが多過ぎる写真には

やもすると

多くの下心が写り過ぎてしまうように思うのです。

 

 

 

 だから

順番として

カメラを持ってなんか探そうと言う順番だけを当たり前とせずに

まずは外の空気を吸おう、

なんかドライブしたい気分だ、

散歩しないと元気が出ないぞ、

なんか遠回りしたいなぁー

と言った

自己の細胞の欲求が先にあって、

その際にカメラを持っていて持ち帰るという順番が

時々大事だと思うんです。

 

 そういう日々や常の中の

カメラ誘発前提でない、

見聞からの誘発の結果にシャターがあった方が

ヒューマニズムだと思うんです。

 

 そうして

撮れる経験や見聞が増える事で

逆に、

先に言った王道風景や朝夕だからの絶景の時に

ベタで終わらないシャッターに繋がったり

誰かのタグ付けした名所以外で

始めてリサーリも無く自分の足で立ち止まった所でも

良い写真を残せる事に繋がると思うんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

cozy

 

2013/05/26