写真やカメラの話しを沢山したいけれど

タイトルの通り、もっと写真の話しとかカメラの話しをしたいけれど、

こうしたHP上やブログ上で一方通行で何かを語ってもなんか虚しい訳です。

それに、もう人は、素人、アマチュアの論ずるものなど信用も感銘もしない時代で

ネット上の情報は情報サイトのプロからのレビューや記事にのみ靡く傾向があって。。。

 

それはFacebookやTwitter上でも同様で

大方の利用者は自分が為になったソースを貼付けて、それを自分の意見のように

人の言葉や意見を、さも自分の意見のようにリンクしコレクションする。

自分の言葉を添え無いどころか、

きっと後で振り返る事も読み返しもしないだろうって思うものも多い。

それは自分の意見ではなく、あくまでも同意の範疇に過ぎないだろうと思うと同時に

ちょっとそうした発信は無責任過ぎるんじゃないの?って僕は思う訳です。

人によっては自分の発信のタイムラインの半数以上が

そうした人の情報のシェアやRTで占められていて、見ていて少し悲しい。

自分の言い回しで、自分の表現口調で、そうした話しを出来る場所で無くなりつつある。

 

趣味志向のあるツールなカメラとかの話しに関して言えば、

もう殆どの人が自分の愛用の物が絶対的一番な贔屓に偏ったトークになるし

写真を味わう方向での写真トークにしても

善し悪し、良い悪い、ぐっと来た、来ない的な話しにしても

自分を視点中心とした価値観からスタートするし、

なんだか遠巻きに見ていても贔屓大会やエゴ大会になってしまうから

僕は早々にそう言う場から、ごめん僕その話しの中からリタイアだわ、、って

そんな感じになりそうな気がする。

 

僕は自慢大会にならない写真やカメラの話しがしたいんです。

 

FBやツイ上で写真やカメラの話しを沢山して楽しみたいのに

世の中は大きなネットワークに平等に均等に広がる輪から

どんどんリアル距離の人のみが優先の会話と付き合いになる傾向は

フォトサイトにしてもフォトSNSにしても、

いくら写真仲間を中心に友達登録、フォローをしても

どんどんその中から気の合うものではなく、リアルに近いものを中心に囲う傾向に

僕はもうじき孤独や仲間に入れない悲しさを感じるようになりそうな予感でいっぱいです。

 

世の中の中心がFBやツイになりつつあって

広がる、盛り上がるものがもっと大きなものになるようで

実際は逆にどんどん狭い偏ったものに時間を費やして一日が終わってしまうような

ちょっとした危機感というと大げさかもしれないが、残念な気持ちがどこかで沸いて来る。

 

見られる事、読まれる事、

その事を前提にものを書いたり論じたり、写真にしろ音楽にしろ何でもだけど

その前提をもって発信する事と、良い発信元をもっと模索しなくてはならないのかもしれないですね。

 

僕の求めているちょうど良い場所ってどこなんでしょうね、

話していくうちにどんどん小さな固まりにならない場所ってあるんでしょうかね、

そう言う話しで時間を忘れる位の時間を過ごせる場所ってどこなんでしょうねぇ。。。

 

 

 

 

 

cozy

2012/01/09