写真への素直な感想

定期的にネットで写真を閲覧していたり
配信される写真関連の電子ブックを見ていると
時々、はぁ?と突っ込みたくなる時ってありませんか。

 特定のものを名指しで揶揄する事になりかねないので
具体的に言うと判り易いけど漠然としか書けないけれど
提供される写真のセンスだけでなく、
セレクトやチョイスの感覚や感性も疑っちゃう時ってあります。
定期的配信もの、テーマを絞った内容のもの
個人の一日ひとつや週に幾つと決まった定数のもの
これら、
やっつけになったりするくらいなら上げない勇気や
保留や不定期でも吟味と精査をちゃんとするくらいの気持ちってないのかしら
そうiMacの前で突っ込みながらつぶやいてしまいました。

 仲間が感想を募る写真SNS的な集合体や
昨今の異種混同のFB的なリア充から日常から社会から
特定の写真の趣味の特化までの集合のようで集合じゃないものでもそう。
写真に寄せられる感想やコメントの嗚咽感と言ったらもう、、
僕が最近撮った後の写真の扱いがつまらなくなりつつあるのは
結構これらのせいが要因となる事が多いです。
 どこそこに行って来ました、天気は悪かったです、でも楽しかったです。
的な、、、で、成果を見れば見る間でもない訳でーー中略
投げかけられるコメントは、素敵ですーに始まり
写真への感想では無く、あーここはアレですねでもアッチも良いですよ的な
人の写真への感想や敬意ではなく、それをネタに自分の話しをしたい聞かせたい、
そんなやり取りを見る事は多々あると思います。
ぶっちゃけ僕ら年代のジジババとそれより上の層に多いから言い辛い。。。。

 僕らも青い頃は、同じレベルの同士と写真についてのあれこれの感想を
ここはこうした方が良いと思ったとか、現場はどうでしたかとか
どう設定してどうアイテムをセレクトしましたか的な話しはしたものだが
その人種と趣味嗜好の混同している昨今のSNSやフォトサイト的なところでは
相変わらずに、行ってみたいです、撮ってみたいです、素敵でないものも素敵です。
そういったニューカマーが新陳代謝しているだけなんですよね。
同じ高みや志やベクトルの人達とは、小競り合いになるような
撮影の上手い下手の話しはネットの距離で5年も7年も付き合うと言わなくなり
器材やアイテムの話しも、富裕層と貧困の差、レベルと話しの空気の合う合わ無いで仕分け
結局見るには見て、見てもらうには見てもらうも、反応や感想の部分と言うのは
ひと言では言えないは親と息子や夫婦間の会話数の減り行くもののような空気感になる。

 僕は昔から人の写真への感想は
そんなに嬉しいことを言われたらほめ殺しだよーと言われるような
人よりも丁寧で饒舌でファンレターやお手紙のようなコメントを書く傾向があったので
どんどん見たよの挨拶的なものになったり、
お前外国人かよみたいなワオとかグッジョブー的な返事と返信に困るような一行コメントや、
丁寧に返事を書いてもどうせお前はレス確認に来ないべという前提になって、
それらを繰り返していると写真を公開する意味や意義がおかしくなり
じわじわと撮る事は変わらずに楽しくても、
撮った後の自分の写真が人に振れた時の楽しさ、
その部分が
知らずにかかっている身体の痛くならない病気のように啄まれたのだろうと思います。




2014/08/24