「歯痒い尺度」

 

もう2月。

今年は言うまでもなく例年にない豪雪。

地方のカメラマンがこぞって雪景色を追いかける話しや写真を目にする。

 

僕の住む山形の南端米沢も、もちろんそのニュースで見る豪雪光景なのだけど、

写真撮りに飛び出すような光や空はなく、

ならばホワイトアウトヨロシク凄まじい冬を撮れば良いって?

でもね、今期の冬で昨年12月からの雪下ろしは3回目、

カメラ持つ暇なくスコップとスノウダンプな日々な訳なのです。

 

でも、ここで、

同じ町に住んでいても、人によっては業者や委託で除雪出来る人もあれば

マンションなどで除雪など一切しなくても良い人も居たり

生活に余裕があって稼ぎの良い過程の立派な一軒家などの多くでは

家庭用除雪機や庭に地下水で消雪施設のある人などと様々な訳。

僕のように何から何まで人力と時間だけで雪のそれをクリアしなけれならない人とでは

雪の苦しさや寒さの乗り越え尺度に大きな差があるなぁとふと思った。

 

経験や体験や見聞にも、そうした生活環境下や体に染み込んだ五感の差って結構あるだろう。

写真に込められるものや写し込みたい対象にも差が生まれる訳はこうしたところにもある事を

人からしたら大した事ない事も、撮りたいものや撮り残したものの形跡を見れば

その人の人生深度も写真のどこかに垣間見えて来ている事にも気付く。

 

連日身に応える苦境に感じてしまっていた自分だけの尺度差にはっとした。

 

生活を豊かにする事だけでなく

気持ちの持ち方や受け止め方までも

 

今や、明日や未来を

 

どう過ごすか、どうクリアしてくか、

 

この田舎で何十年も上手く頑張れた人にはこの豪雪もなんなく乗り越えられても

ちょっともろいメンタルで、過去の生活と一転して日々苦境が加速中な

そんな昨今の僕の身体と心とでは結構大きい壁な歯痒さを覚えた。

 

写真を見返して幾年か前に良くそんな環境で撮ったなぁと言う写真を見返すと

そこには、当時の僕の余裕とか何かまで紐解けるから面白くもあり悲しくもあり(笑)

 

今年の僕の冬写真は

 

そんな苦しみを見せない意地っ張りな部分も見せれたら良いのかもしれない。

 

そんな中でもほんの一握りのちょっと他方から飛び出て来ただけでな撮れないような

わずかな時間だけの良い光や

身動き出来ない家の凍り付いたガラスからでも

自分なりの冬の表現を出していけたら良いのかもしれない。

そうで良いのであって、そうするべきなのかもと思う。

 

1人で過ごす身動き出来ないこの冬の歯痒さは天候だけが要因ではなく、

半分は環境下が支配していつ歯痒さな事は言わないけど事実である。

 

でも、人には伝わらない苦境を語ろうとはあまり思わなく

はたから見える表面上は、何としても密かにしらーっと踏ん張ろうとは思っている。

 

 

 

 

 

 

cozy

 

2012/02/01