新鮮さ

 とても単純明瞭な事なんだけど、

デジタル一眼にとっての新鮮さって

製品の新しさというファクターがとても大きい気がする。

 僕が今、鮮度を欠いているひとつに

D800Eをひと月お借りして使った事もある気がしていて

それは今所有しているレンズを使っても

とても新鮮に撮れたものを見れたのを今でも覚えている。

 

 ここまでのフォトライフにおいても

ボディーもレンズも入れ替えしたり更新したりしてきて

画質の向上と言う名目で新鮮さを更新して来ていた気がする。

 

 それはきっと、

同額程度のものでも機器を入れ替えたりレンズを差し替えたり

画角を付け替えたりと言う事も同様かもしれなくて、

その鮮度って、だいたい一年くらいで少し当たり前になって来る。

そう言う意味でメイン体勢をそれ以上更新出来ていない今の僕は

欲目の部分で鮮度ややる気や面白さがちょっとずつ落ちても

あーその傾向って確かにあるよねって話しになる。

 

 フイルムをメインにしていると

基本的に新しいボディーって無いものでその鮮度の依存って

憧れのライカに行き付くまでとかそう言う方向性以外少ない気がするのと

フイルムの充填って事が

毎回新しい新鮮さの更新の効果が大きいのかなぁって

そうふと思った訳です。

 

 その他の面で

今の僕が何か新鮮さを得るには

一体どうしたら良いんだろうと今夜長に考えている。

 

 物体としての新鮮さへの依存で無いものを考えると

新鮮な発見や被写体、

そうしたものに敏感になれなかったり探せない発見出来ないとしても

とても有効な事に

「旅」

と言うものがあるかもしれないと思った。

 

 それには

絶対的な新しい見聞と発見と刺激とらの

どう考えても普段と違う五感が動く事は間違い無く

普段使っているカメラを持つ事の方がその旅に新鮮になれる気もする。

 

 だから

僕は今旅をすれば良いのかなと単純に思える所がある。

ただ、行きたいという目指すものが無いから

切符を買って宿を予約してといった計画的なものは無理。

 簡単には

普段の僕の得意技の

「うろうろ」の距離半径を広げるだけで良い気がしている。

幾日ももがきながらのノートにウロウロする意識を高めたいと言っているのは

今ノートを書きながら新鮮さを探す為の自己分析をしていると

ああ正解っぽいなと思えて来る。

 

 

 

 

 

 元気を取り戻す日は

 

 

 そう遠く無い気がして来た。

 

 

 僕のこの先最初の旅は

仙台か郡山のヨドバシに行く事なんだろう(笑)

そこには大分狭くなった行動半径の拡大があるのだから。

そこには、道中の横に普段と少し違う街があるのだし

途中でコンビニや道の駅やSAですら店員さんの顔が違うのだし。

その時に必須なのはお気に入りの曲を持ち出す事ではなく

FMキー曲をそこの地元にチューニングする事だろう。

 

 やはり、やっぱりそれすらしていない事が

一日を滅入らす原因と要因でしかない気がする。

 

 

 やはり

僕は自分に対して冷静に分っている気もする(笑)

 

 東北はまだ梅雨明けしていないし

何か良いものを途中で撮らなきゃな意識ではなく

少しでもMacの前に居る時間を減らす事が

 

 一番の新鮮さを取り戻す為に良い事なんだと思えてている。

 

 

 

 こんな事、この歳の男の書くノートじゃないですね。。(笑)

 

 

 どえらく未熟でガキだなぁ。

 

 

 

 海に行きたい気もするが

この歳の男がひとりで行ってただの草むらにバカ高い駐車料金払って

もえもえの美女の水着を見て、その際一眼持っていたら。。。

鼻の下伸ばしていたり顔つきが悪かったらオナワである。

 

 

 カメラ好きと独り身男と夏と海との両立は難しい。。。。

 

 夏のちょっと外れた海岸沿い

無条件に絵になるんだろうけどなぁ。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

cozy

 

 

 

 

2013/07/08