敬意


      僕が風景写真を撮る際に

撮影地を証さない事、GPSデータを載せない事、

ブログや撮影記で経緯や動向を残さないのは

僕よりももっとその地を大事に思っている方への敬意です。

僕がちゃらちゃらされたいからと詳細地データや

そこへの行き方や時間帯や旬やポイントを公示して

簡単に情報からサクッと撮影地に着いてサラッとおいしい写真を撮って

我の手柄にしてリア充の評価を得て悦に浸るような

週末カメラマンの三脚だらけにならない為です。

 

 毎年撮り重ねるライフワークにしていたり

僕の何倍も思い入れのある土地や場所だったり

その日その時がたまたま良い光状だったり良い時節やタイミングだったりで

簡単にそう言う方の思い入れを越える無碍な発信と拡散をしたくないのです。

 

 もし貴方に

特別な場所があって思い入れがあったのなら

その逆の簡単に撮影して誰もが足を踏み入れる

県外からの三脚だらけの場所にされてしまったらどうでしょうか。

自分が何ヶ月も何百歩も歩いて得た撮影地を

前夜に情報を仕入れ車を横付けして降りて

数歩で数分で同じ写真を自分よりも広い拡散をされてしまったら

自分の立場ならたらどうでしょうか。

 

 僕は嫌ですね。

 

 だから

僕は写真を愛し自然に感動をもらった経験があるからこそ

自然環境も、写真を愛する人も、その場を愛する人も

 

 敬意をもっていたいのです。

 

 自分より愛の大きい人があるのなら

悪意の無いフォト意欲の効率化に知恵を絞ったり血眼な情報収集に力を注がずに

いかに自分なりのアンテナの感度を

自分の写真の成果にだけ注がないで

写真界や写真を愛する人や写真に携わる一人として

 

 ちゃんと意味と意思のある

敬意をはらわねばならないと僕は思う次第です。

 

 

 写真が本当に上手い人と支持に得られている人と

本当に写真と自然風景を愛する人と

プロアマ問わず写真界に名と名作を残す人は

人と同じや類似にしかならない名所を撮らないし行かないし広めない。

そこに人を集ったりツアープランを作ったりそこでセミナーを開いたりしないはずです。

 

 

 写真を愛する人に敬意をはらえると言う事は

イコールで写真そのものに広義で敬意をはらえている事に繋がっているはずです。

 

     

      まずは、完全な有名地になっていない所なら

写真のタイトルを撮影地そのものにしない事から始めてもらいたい。

第一写真のタイトルに撮影地そのものなんて

ボキャブラリーの無さを自ら言っているようなものですし。

ネットで沢山の人に見てもらい、良い成果が撮れたからの発信をする際も

事細かい情報やルートを開示したらその撮影地が大騒ぎな事にならない事と

貴方が責任を持ってその環境を汚されないよう身を呈して守って下さい。

ロープが張られるような事にでもなったら貴方の罪と責任、罪悪感は

一生後悔が付き纏うものになってしまうはずです。

 

 先陣の悪い見本と

ネット普及と身軽で手軽で尻軽カメラマンの増えた昨今の

悪い種を自分も蒔く事だけは

写真と自然と風景写真を愛してると心から言いたいなら

最低でも今の心づもりの

あと何歩か何倍かの

敬意を持って写真に関わって欲しいと願う今日のcozyです。

 

 

 撮影地の悪いマナーの話しは写真をやっていれば必ず聞きますよね。

人の大事な撮影地を簡単に盗んで簡単に自分の手柄にするのも

法律には触れないささやかな罪だと思うくらいの気持ちで丁度良いんだと思います。

 

 

 撮影のいちから全ての動向と情報を常に開示するのは

子供の夏休みの絵日記以下で仕事の日報でしか有効ではありません。

それが今の最新機材で100点の画質で撮れたとしても

過去に同じアングルのすでに認められた写真作品があるのなら

それはその現場に立った時点で50点の減点ではないでしょうか。

オフ会写真で3人や5人の同じ定点写真を見た時点で

それは写真界の中のコンペにも県展にも写真集にも使えない定点でもあるのです。

 

 

 敬意を持つ事は

写真そのものに対してだけでなはく

写真を愛する人に対してと

レンズの前にある被写体や情景や光景の全てに注がなくてはならないのです。

 

 

     

 

 

cozy

 

 

 

2013年10月18日