EVFとOVF。


      EVFはRICOHのものだけだけれど

GXRのEVFもGRDのものに比べれば大分良い。

もちろん昨今のSONYもOLYMPUSもパナのもNikonのV2のも

過去のEVFしか知らなければどれにしても

随分と良くなったなぁ、充分使えるものになったなぁと感想を漏らすはずだ。

露出結果を見ながらに撮れるのは悪くないものです。

 

 ただ、数時間EVF機だけで撮影をしていると

片目にだけ光の残像が残る事が、ふと怖くなる。

過去に一生使えると思っていたボーカリストの喉が

途端に唱えない喉になった事があり、

今でももうカラオケすら数曲だろう声と喉になった事が

カメラにおいての撮影時の

「眼」への

ストレスやじわじわと障害抵抗になるのではないかと怖くなる時がある。

OVFに比べればどう考えても直近からの刺激が強いから。

 

 それに付随して利き目と両眼での刺激バランスにも

一眼とEVF機を混在して使っていると不安が過る。

若いうちは意識も障害も何も無いだろうが

色んな所で身体の支障を感じる機会が

僕の歳になると、何倍増しにも感じられるから

以前は何でも無かったちょっとした事のひとつひとつの要素が

楽しんだ事のツケにならないかも大事な要素になって来る。

 

 今日もGXR A16だけで撮影を済ませたが

なんか、もう、これ一台で基本まかなえちゃうのかなと思う半面で

先の述べたEVFと眼の関係だけでなく、

逆に言えばだからこそ、ならばD700に24-70を

常に主な常用としてしまった方が幸せなんじゃないだろうかとも。

 大きさ、重さの億劫とかって

持ち物としてある中で比較論でしか無いと思える時も多く

もしかしてD700しか無かったらそれしか使わない訳でとも。

 

 今日の件は

普段の中でプラマイゼロの露出で撮れば

RAWで仕上げるんだから無難なはずと言う事ではなく

現場で感じた瞬間に持っているカメラの露出の癖を把握していて

なおかつシャッターを押す前にイメージとして

露出をプラスなりマイナスなりにまで描けている前提があるから浮かんだ話し。

 

 カメラはまだまだ発展途上

 

 そして

 

 僕は老化とか減退する一方。

 

      時々だけど

背面液晶とかファインダーを覗いた瞬間に

ふとデジタルの刺激が撮る気を奪い取る時があるんだ。

実際は感じないんだけど

電子機器基盤の回路の半田の松ヤニっぽい何かが

カメラを持っていて脳裏によぎる時がある。

背面液晶を逐次見る当たり前の行為もこの香りの要因なのかもしれない。

 自分のツールの露出傾向が判って

出来にまず問題無いだろうとシャッターし、

背面液晶を見ないで次のシャッターを構えられた時は感じないこの感じ。

なんか、年に幾度かだけだけど、

抵抗とまではいかないし、違和感と言うのでもないのが。。。

 

 外の空気や季節の香り、光の温度や風邪の感触と違うギャップを

知らずに感じながら撮っているのでは無いだろうかと思う時があり、

今日はその日だったのだろう。

 

 

 

 

 歩く事もカメラを構える事も日常の中を取り巻く何もかもが、

何も抵抗無くうまく回っている時には感じないこの感じ。

 

 

 

 何か、

どうもうまく回っていない感じが滲み出ている気がしてならない。

 

 

 

 もうしばらく

こんな感じを背負っての日々が続くのだろうか。。

 

 

       

       


2013/04/04